【書評・レビュー・感想】岡本一広氏『めぐる88・第2巻』は →空海の禁断の教えに抵触イエローカードな件

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ごめん、今回もちょっと難しいよ!!

 

さて、前回に続きまして、 岡本一広氏の四国遍路漫画「めぐる88」の第2巻をレビューします。

 

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「めぐる88・第2巻」は、2012年4月14日発売。

 

つまり、1日早いレビューとなるのです!!



【注意:本記事には、明らかにエロゲーライター全開の卑猥表現があります。不快な方はご遠慮下さい】

 いい?










さてさて、第1巻では、弱虫流され男こと『友近太一』と、自由奔放天真爛漫女『生名ハルカ』が、四国遍路の一番札所でたまたま出会い、煩悩全開のままに、四国遍路の業の旅を進めていったわけです。

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と、その前に、お気づきであろうか......。

1巻にくらべて2巻の、太一の金剛杖(手に持ってる杖ですね)がすり減っているのです。

まぁ、実際のところ20番札所でここまで減るかどうかは、僕は歩き遍路していない、どころか、遍路未遂なのでわかりませんが、とにかく芸コマです。

 

ちなみに、僕は昨年十月に遍路がしたくてバイクを買って四国に行ったのですが......。

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なんか、違う旅になってた。

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四国が好きになったのだけは確かです。

ということで、今年こそはバイク遍路しようと思ってはいます。

 

 

と、話題がそれましたが......。

 

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今回は、めぐる88史上、最大のストーリー・リーダー「外国人・リチャード」が、泣き所・笑いどころ・味わいどころとなります。

 

「日本を舞台とする漫画に、外国人が出てくると、日本文化の再発見」がテーマになります。

これ、文学作品の法則。

 

で、このリチャードは、

 

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「大日寺(だいにちじ)」に来たら、足のまめがごまつぶ大にちぢんじゃったよ。


と、まるで、「「あたかも」を使って短文を作りなさい」みたいな、脈絡のない駄洒落をカマしてきます。

 

すべってるんです。だだすべり。

 

ただ、彼は僕が思うに、おそらくダジャレを考えることで、心を紛らせているのだと思います。彼には四国遍路をする深い悩みがあったりするんです。ネタバレなのでいえまへんが。

 

不殺生(ふせっしょう) 故意に生き物を殺さない。

不綺語(ふきご) 中身の無い言葉を話さない。


 

リチャードはこの二つの煩悩に二本の足をくっつけて歩いているんです。

頭の中が、けっこうウジウジ君なんです。

 

無にはなれても空にはなれず。


俳人・種田山頭火がぼやいたみたいに、彼はオーバー・トラウマで負の感情に陥る自分がいやで、ダジャレを考えて、「無(=一時的に自分の思考を停止させる)」ことを繰り返しているんだと思います。

 

「空(=それも全て、自分であり、こだわりをすてる)」ことは、彼らでなく僕らにも到達できない悟りの世界。煩悩まみれの我々には、遠い思考世界です。

 

ともかく、主人公達はそんなことを知ってか知らぬか、第2巻でも引き続き「本当の自分探し」の旅を続けます。

 

そして、主人公ペアにも心の変化が訪れます。

 

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天真爛漫キャラの生名ちゃんが、なんか悩み始めます。

「何で悩んでいるか。わからないが、もやもやする」状態にハマります。

 

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一方、主人公の太一くんにも変化があらわれます。

「流され人生から、ちょっと自主性・主体性を持とう」って試みるのです。


遍路は変化をもたらす。そういうルールが発揮されているのです。

四国遍路だけでなく、旅というものは、自分と向き合う自己啓発行為です。


僕は真言宗ですが、僕の檀家になってるお寺の坊主は盗撮をして捕まりました。美人の奥さんいるのに、エスカレーターで女子高生のパンツを携帯で隠し撮りしたんです


すると、突然、「あぁ、なんて私は馬鹿なことをしたんでしょう、四国遍路で煩悩を捨ててきます!」と、檀家に手紙をおくりつけて、歩き遍路を断行したのです。


は? ですよ。


おい、クソ坊主! そう思いつつも、まぁ、そんな事もあるだろうさ。


人間だもの......と母と話しまして、で、坊さんが遍路終えて帰ってきたんですよ。


そしたら、そのお寺の坊主はまた盗撮をして捕まりました。子供いるのに、エスカレーターで女子高生のパンツを盗撮したんです


それでも、職を失わないのは、坊主の良いところだ。と思います。


うちでは、盆とXX回忌でその坊さんが来ると、ちょっと対応に困りつつ、その話に触れないお約束になっています。

 

と、寺の坊さんだって、僕にだって、あなたにだって、煩悩は誰にもあります。

 

 

それは、弘法大師こと空海もそうでした。


弘法大師は、最澄って坊主と大げんかをしました。

理趣経」という、禁断の教典を、ちょっと貸してくれと行った最澄に、ぶち切れてしまったんです。

この、理趣経という教えはまさに、劇薬。パンドラの箱。特に「十七清浄句」については、弘法大師さんもさすがに、これはまずいわ......とおもって、弟子にも教えなかったんです。

 

だって......。

 

説 一切法淸淨句門 所謂 (せ いっせいほうせいせいくもん そい)
妙適 淸淨句 是菩薩位 (びょうてき せいせいく しほさい)
慾箭 淸淨句 是菩薩位 (よくせん せいせいく しほさい)
觸 淸淨句 是菩薩位 (しょく せいせいく しほさい)
愛縛 淸淨句 是菩薩位 (あいはく せいせいく しほさい)
一切自在主 淸淨句 是菩薩位 (いっせいしさいしゅ せいせいく しほさい)
見 淸淨句 是菩薩位 (けん せいせいく しほさい)
適悅 淸淨句 是菩薩位 (てきえつ せいせいく しほさい)
愛 淸淨句 是菩薩位 (あい せいせいく しほさい)
慢 淸淨句 是菩薩位 (まん せいせいく しほさい)
莊嚴 淸淨句 是菩薩位 (そうげん せいせいく しほさい)
意滋澤 淸淨句 是菩薩位 (いしたく せいせいく しほさい)
光明 淸淨句 是菩薩位 (こうべい せいせいく しほさい)
身樂 淸淨句 是菩薩位 (しんらく せいせいく しほさい)
色 淸淨句 是菩薩位 (しょく せいせいく しほさい)
聲 淸淨句 是菩薩位 (せい せいせいく しほさい)
香 淸淨句 是菩薩位 (きょう せいせいく しほさい)
味 淸淨句 是菩薩位 (び せいせいく しほさい)
何以故 一切法自 性淸淨故 (かいこ いっせいほうし せいせいせいこ)
般若波羅蜜多 淸淨 (はんじゃはらびた せいせい)

 

って書いてるんですよ! 難しく思えるでしょ?

 

僕が二行で訳しましょう。

 

 

おまんこにおちんぽつっこんで、あへあへするのは、清浄な菩薩の境地なの!

自慢も、享楽も、見るもの聞くのも、さぼるもの、全部OK! 清浄な菩薩の境地なの!

 

 

菩薩というのは、釈迦が釈迦になる一歩手前の「煩悩ばりばりから、悟り見えてきた!」状態でして、

「地蔵菩薩」などといわれるように「たいがいの罪は許してやるから、どんとこい!」な神様なんです。

 

 

つまり、「ヘブン状態」の神様です。

インドやアジアにやたら、エロい仏像が多いのは、この理趣経っぽいものの影響なワケです。

 

 


これ、誤解されるわー。ムリムリ。絶対無理。

弘法大師さんはそう考えて、最澄に「あんたにみせたら、誤解する恐れがあるからみせられん、ケンカ別れじゃ-!」と言いまして、

なんでもOK、いけいけどんどん、あげあげぽよぽよとらえかねない、理趣経は教えなかったとかいいます。

 

 

そんな、ちょっと、酸っぱい思い出のある空海さんが開いた四国遍路。

 

厳しい教えの中での修行といわれますが、実際、遍路をしている人々が、みんな殊勝な気持ちでやっているかといえば、それはそうではありません。

 

俗物ならわかるでしょ?

 

江戸時代だってそうだったんだから。札所で出会った男女がセックスとか頻発してるようすが春画に描かれまくりなんですから。

 

 

ある人は、バスで鼻くそほじって遍路をします。

金にまかせてタクシーでのりつけ、スタンプラリーをする輩もいます。

無礼千万、遍路さんにあるまじき愚行に走るヤツもいます。

 


当然、男女がくっついて、おまんこしちゃうことも、もちろんありなわけですよ。穢れか、そして、悪いことか、ありまくり。あぁ、悪いことでしょうよ!! この泥棒猫!


しかし、菩薩(=入滅する釈迦)なら、それは許すよ、ってのが十七清浄句の真理です。


煩悩まみれでいい。それは悟りへの道である。

まみれるがいい。それが真理への道程である。


そういう、遠いところを見ている感じは、豪華絢爛大好きのミーハー平安貴族にはわかんねんじゃね?


だから、弘法大師さんは、理趣経を秘匿しオブラートにくるみ、あえて厳しい修行の道を示すことにした。


平安貴族に「おまんことか全部OK!」っておしえちゃ、日本がどうなるかわかりませんから。(実際、それでも、平安貴族どもは俗物的に霊験をもとめてフィーバーしちゃったから、空海さんは正解だったよ)

 

 

人は弱い。しかし、弱いから、仏になれる。

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同行二人。

 

四国遍路で必ず対面するこの言葉。

お大師さんと歩くこと。それは、自分の中の「自分だけの宗教性」と向き合うこと。

煩悩はなくならない。しかし、煩悩を考える行為が、同行二人なのではないでしょうか。

 

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リチャードがあることをきっかけに、雨上がりの日に、自分の中に神を感じるシーン。

神はいるか、いないのか、これは皆さんがだれしも悩むテーマでしょう。

 

しかし、答えは「無」です。

 

我々は、仏性を持った即身成仏です。

それがどんな人生であろうと、生きることこそが修行であるというのが、僕なりの答えと思っています。

 

めぐる88は、こう言った「人が俗物であるところから、神を感じて仏性に目覚めていく課程」が、

計算ではなく、岡本さんのフィーリングで書かれていきます。

 

 

「わからんことは、あんなたのなかのお大師さんに素直な気持ちできいてみなはれ」

 

これは、流されるな、何をしたいかは、自分で決めろ、カルトなんかは教えてくれない、自分のなかの宗教性こそが、自分に教えと悟りをもたらす。

こういう心に繋がる真理の言葉ではないでしょうか。

 

 

とにかく、この台詞にぐっときました。 そして、無関門の「主人公」を思い出しました。

 

 

約十年前。僕は自分の中に「禅宗と真言宗」を自分なりにリミックスした「酒井教(オーダーメイド)」を図書館で作ってみたんですが......。

はたして、「めぐる88」の太一、ハルカ、リチャードは、この自分だけの自分の宗教を紡ぐことが出来るのでしょうか。

 

これからがとても楽しみな第2巻でした。

 

 

あー、もう、何を言っているかわかりませんが、とにかく、カルトにはまるくらいなら、四国遍路しようっての!

その前に、めぐる88で、遍路を予習しよっての!!

 

 

 

めぐる88・第2巻は、2012年4月14日発売。

 

日本で一番、優しくてとっつきやすい、宗教入門書として、読んでみて下さい。

 

P.S

 

前述の四国の旅でお知り合いになりました、四国在住の「T.S」さんがね、

ちょうどバイクで、めぐる88の札所を巡って動画をUPっておられます。

本人に許可をえて掲載しますので......予習がてら、ちょっと見てみてよ。

 

ちなみに、逆打ちといって、88番目から1番目へと巡る旅ですので、

めぐる順番が逆になっていますので、ご勘弁を!!

 

■第1巻で太一とハルカが巡った札所 (1番・霊山寺~11番・切幡寺)

 

■第2巻で太一とハルカとリチャードが巡った札所 (12番・焼山寺過ぎ~22番・平等寺の前)

 

 

 

 

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